子どもと歩くと、ただの道が冒険になる
捨ててきたムダって実は大切な事だったのカモ?
娘と歩いていると、ただの道が少し違って見えます。
大人だけで歩いていたら、気にも留めないようなもの。例えば、、、
・電柱。
・落ち葉。
・石ころ。
・道に落ちているゴミ。
・犬のウ〇チ
そういうものが、娘と一緒に歩くと急に物語の入口になるんよね。
ボクと娘は、ヨシタケシンスケさんの
『りんごかもしれない』という絵本が好きです。
娘も小さい頃から読んでいて、よく覚えています。
あの本の面白いところは、
目の前にあるものを「本当にそうなのかな?」と考えるところ。
りんごに見える。でも、、、、
もしかしたら違うかもしれない。
もしかしたら、何かの装置かもしれない。
もしかしたら、中に誰かが住んでいるかもしれない。
そうやって、一つのものから想像がドンドン広がっていく。
ボクは、あの感覚がすごく好き。
だから娘と歩いている時も、よくそんな話をします。
例えば、道にゴミが落ちていた時。
普通なら、「ゴミが落ちてるね」で終わります。
でも、そこで少しだけ言い方を変えてみる。
「これ、本当にゴミなのかな?」
「もしかしたら、誰かが地球を侵略するために置いたセンサーかもしれないよ」
そんなことを言ってみる。
すると娘は、ちゃんと乗ってくれるんです。
「え、じゃあ宇宙人が見てるかもしれないね」
「ここからビームが出るのかもしれない」
「本当は隠しカメラかもしれない」
そんなふうに、2人でドンドン話が広がっていく。
これが本当に楽しい。
大人から見れば、ただの道です。
・ただの電柱。
・ただのゴミ。
・ただの帰り道。
でも、子どもと一緒に歩くと、その全部が少しだけ面白くなる。
何もないように見える場所に、物語が生まれる。
ただの移動時間が、冒険になる。
大人になると忘れている感覚。
ボクはこの感覚を、すごく大事にしたいと思っています。
大人になると、どうしても効率を考えてしまいガチです。
誰だってムダをなくしたいですよね。
・早く帰らなきゃ。
・次はコレをしなきゃ。
・アレも終わってない。
・明日の準備もしなきゃ。
気づけば、目の前の景色を見ているようで、ほとんど見ていない。
スマホばっかり見て上なんて見てる余裕なんてない。
道を歩いていても、頭の中は予定でいっぱい…。
でも娘は、今ここにあるものをちゃんと見てる。
・不思議におもう。
・立ち止まって考える。
・質問する。
・想像する。
大人が見落としている世界を、ちゃんと拾っている。
ボクは娘と歩きながら、何度もそのことを思い知らされます。
たぶん、
子どもと過ごす時間の良さって、子どもに何かを教える事だけじゃない。
むしろ、こっちが教えてもらったり、気付かせてもうことの方が多い。
・見慣れた景色の中に、まだ面白さが残っていること。
・正解だけじゃなく、想像する楽しさがあること。
・目的地に着くことだけが、移動の価値じゃないこと。
娘と歩いていると、そういうことを思い出します。
…うん、もちろん、毎回そんな余裕があるわけではありません。うん…。
疲れている日もある。
早く帰りたい日もある。
正直、立ち止まらずに進んでほしい日もあります。
でも、そんな時こそ少しだけ思い出したい。
この会話は、今しかできないかもしれない。
この想像に乗ってくれる時間は、ずっと続くわけじゃないかもしれない。
だから、なるべく一緒に面白がりたい。
「それは違うよ」
「そんなわけないじゃん」
「普通は○○だよ?」
で終わらせるんじゃなくて、
「本当だね」
「もしかしたら、そうかもしれないね」
「逆にそれ新しいね!」
と一緒に広げてみる。
それだけで、日常は少し(ほんの少し)変わる。
ただの帰り道が、娘との思い出になる。
ただの道が、冒険になる。
子どもの想像力って、本当にすごい。
そしてその想像力に付き合える時間は、
親にとってもすごく幸せな時間なんだと思う、今日この頃です。
そんな今しかない時間を大切に、
ボクは全力でムダかもしれない時間を過ごしていきたい。
それの「価値」は、大きくなった娘と答え合わせをするために。
今日もコツコツゆるゆるやって行く。
また、娘と冒険にでるために。。。


